見える夫と仏像をめぐる旅をしています。2024年の秋に室生寺を訪れました。金堂の中尊、釈迦如来立像にお会いすることが目的です。
目次
室生寺には山を分け入って向かいます
我々夫婦は、JR奈良駅から、JR万葉まほろば線と近鉄大阪線と奈良交通バスを乗り継いで室生寺に向かいました。室生口大野駅のバス停留所から室生寺までのバス区間が想像よりも「山」だったので、そのことからお話をします。
室生口大野駅と室生寺をつなぐバス路線は、奈良交通がふつうに「44」という系統を付すバス路線なのですが、乗車中に「自由乗降区間」なるものの案内が流れて驚きました。任意の場所で乗降できるようです。ちなみに、途中で乗車したい人は、走行方向に向かって左側の安全な場所で手を挙げると乗車できるそうですよ。
自由乗降区間の案内を聞きながらへぇーと感心していると、隣に座っている夫が耳元でささやきます。「スマホのアンテナが1本になった」と。
この日のバスは、室生口大野駅で全員安心して腰掛けられるくらいの乗車率でした。ゆったりちょうどといった具合です。だから、我々だけということではなく心強くはあったけれど、もしもバスの中に自分たちだけだったら、ちょっと不安になる感じの道のりでした。そういう雰囲気の「山」を分け入って向かう室生寺です。
バスを降りるとそこは門前のお土産物屋さんです
室生寺の停留所でバスを降りると、そこは門前のお土産物屋さんです。店主たちはバスを待ち構えているふうでした。(バスの到着に関係ない時間帯に歩いたらシーンとしてましたもの!)スマホのアンテナも無事に3本に戻りましたよ。
門前をぶらぶらと歩くとやがて室生寺の門にたどり着きます。門までは立派な太鼓橋を渡ります。清流の音が絶えず聞こえていて、山間の雰囲気は満点です。
視覚障害者には金堂までの石段がキツかった!
拝観料を納めていざ金堂に向かったわけですが……。
お目当ての金堂まではかなり不揃いの石段を上らなければなりません。お天気はよかったけれど山間のお寺のせいか全体的にしっとりしています。石段も若干濡れているというか乾ききらないというか、滑りやすい感じがしてなりません。
夫の手引きでなんとか石段を上りきり、金堂にたどり着くことはできました。
金堂は特別拝観中でした
2024年の秋は、10月19日(土)から12月1日(日)の期間が金堂特別拝観とのことで、金堂の中に入ることができました。お堂の外からでも釈迦如来立像が見えないわけではありませんが、やはり中に入ったほうが見やすそうでした。
いよいよ釈迦如来立像とご対面です。
といっても私は何も見えませんので、見える夫に仏像の特徴を説明するといういつものパターン。見えないのに仏像を見に行きたがる私と、歴史には何の興味もないのに仏像を見せられまくる夫。夫が美術というか造形には若干の興味がある人でよかったです。
うすーくうすーく美しい漣波式衣紋
釈迦如来立像について一生懸命説明する私の横で、ふむふむと言いながらも納得しかねる夫。しばらくすると金堂のスタッフから仏像の説明が始まりました。するとどうでしょう。夫が簡単になるほどーとうなずくではありませんか!なんで?なんでー!!!私の説明とスタッフの説明とほとんどいっしょじゃんとちょっと膨れる私です。
つまり、こういうことがわかればよいのです。
- この釈迦如来立像は平安前期のすごいやつだということ
- 衣紋が漣波式と呼ばれる彫り方で、衣がうすーくうすーく美しいこと
- 光背が板光背で、繧繝彩色が使われそれが残っていること
衣の「うすーくうすーく」のところが美術史家の「言葉」でしか学べない私には説明しきれなかっただけのこと。そこのところの説明が金堂のスタッフのほうがちょっとだけ優れていただけですよ、ほんとに。
繧繝彩色が残る板光背
まあいいや。あとは光背です。板光背と呼ばれるもので彫刻ではなく絵です。繧繝彩色という技法?が使われているらしいのです。
「私の学びによると、繧繝の輪郭の色が違うらしいんだよね」と私。
「輪郭ー?白いところかなあ」と夫。
「たぶんそう。ふつうは赤いんだけど室生寺のは白ということだった」と私。
まことにおぼつかないやりとりですが、我々夫婦はいつだってこんな感じなのです。
五重塔はあきらめることに……
室生寺と言えば五重塔、本堂の如意輪観音菩薩は「観心寺・神咒寺の如意輪観音とともに日本三如意輪」と聞けば、なにがなんでもそこまで行きたくなります。けれども私はあきらめました。
五重塔まではまだそれなりに石段があるとのこと。体力には自信がありました。でも、転ばない自信はなかった。旅先でのけがは絶対に避けたいのと、手引きをしてくれる同行者の気疲れを思うとどうしても足が前に進みません。
しかし、金堂からの帰り道のことです。石段を下りるときに設置されていた手すりを使ってみたら、わりと安定して降りることができたのです。上りも下りも手すりを使えば、もう少し上までがんばれたかもしれない。石段を下りながらちょっと後悔しました。
まさに山岳仏教なのです
帰宅してから歴史を勉強し直したところ、愛用の書籍にこんな記述を見つけました。
平安時代には,奈良時代のような国家と仏教との密接な結びつきは排され,仏教が国家の手からいちおう離れて,独自に発達する道が開かれるようになった。そのために,平安仏教は俗塵を離れた山間で修行する 山岳仏教 という形をとったのだが,やがて貴族との結びつきを強めた 貴族仏教 の性格をもつようになっていった。
安藤達朗著『いっきに学び直す日本史【合本版】』 位置:3,173
寺院建築 では,寺院が山間に建てられたために伽藍配置はくずれて自由になった。 室生寺(奈良県)の五重塔と金堂が今日に残る初期山岳仏教の建築遺構である。
安藤達朗著『いっきに学び直す日本史【合本版】』 位置:3,257
なるほど、書籍にあるとおりです。室生寺はまったく伽藍配置をなしておらず、上っては金堂、もっと上っては本堂、さらに上って塔、もっと奥に奥の院といったつくりなのです。
今回の旅のポイントは、見えない私が塔まで行けなかったことで、その山間っぷりというか山岳っぷりを体験できたということ。体験せずして体験できてしまったということなのではないかと思います。
いやあすごかった。仏像にはあんまり関係なさそうだから、比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は旅の予定にはないのだけれど、室生寺の山間っぷりに影響されて付け加えてしまいそうです。
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おわりっ!