全盲の視覚障害者‘ぶちゃこま’です。
見える夫と仏像をめぐる旅がしたくて、見えないなりに学んだ飛鳥と白鳳の境の仏像をまとめています。この学びをもとに旅行をしています。
飛鳥文化は538年または552年の仏教伝来から始まり、白鳳文化は710年の平城京遷都で終わる。では、飛鳥の終わりと白鳳の始まりはどこか。そんな疑問を解決したくてまとめました。
▼ 登場する仏像 ▼
- 法隆寺献納宝物・菩薩立像(165号)
- 野中寺・弥勒菩薩半跏像
目次
飛鳥と白鳳の年代についての学説
飛鳥文化の終わりと白鳳文化の始まりの年代はいつか。その学説は分かれているようです。物理的に残されたものを美術史的に見るべきという人がいれば、いやいや史実が大事だろうという人もいて実にさまざま。以下は私が目にした年代のバリエーションです。
- 645年(大化1):以前の大勢の意見・日本大百科全書(ニッポニカ)
- 662年(天智1):水野敬三郎
- 663年 白村江の戦:西川新次・世界大百科事典
- 670年 若草伽藍(法隆寺)焼亡:町田甲一
- 671年 壬申の乱前年:小林剛
662年の水野敬三郎説
わたくし、研究者でもなんでもないただのトラベラー‘ぶちゃこま’が信じているのは水野敬三郎さんの説です。水野説は簡単に言うと「仏像から止利様式が消えたとき」となります。
▽ 止利様式の特徴 ▽
- アルカイックスマイル(目を見開いて微笑んでいる)
- 表面鑑賞性(横や後ろからは見ないでねみたいな)
- 左右相称性(衣装がシンメトリーにきちっと)
水野さんは、造像年がはっきりしている仏像の中で、止利様式が残る最後のものと止利様式が消えた最初のものを探し出します。飛鳥文化の終わりと白鳳文化の始まりは、これら2つの仏像の造像年の間にあるだろうと考えたわけです。
その2つの仏像とは、651年と666年のものでした。間ですから15年間もあります。さてどうしたものか。ここでやっと史実を持ち込むことにして、天智天皇1年でいいんじゃねということにしたようです。
‘ぶちゃこま’が水野説を推す理由
繰り返しますが、わたくし‘ぶちゃこま’は、歴史は好きだけど研究者でもなんでもないただのトラベラーです。しかも目がまったく見えなくて、歴史に興味がない夫の目を頼りに歴史の舞台を旅したいと夢見ている人です。
こんな場合ですから、歴史をごちゃごちゃ並べ立てるのではなくて、このたびの仏像鑑賞であれば仏像そのものに魅力があってくれたほうが都合がいいのです。夫に止利様式3つのポイントを教え込み、仏像を前にして「(止利様式が)ある?ない?」を繰り返せばいいだけのこと。ビミョーだなと感じれば彼なりの表現で何かコメントしてくれるでしょう。
そして、これまた都合がいいことに、歴史なんぞちんぷんかんぷんの夫だけれど、美術的視点というものはかなり多めに持ち合わせているとみえて、楽しそうに見てくれるうえにコメントがわかりやすくて。そういう安直な理由で、トラベラー‘ぶちゃこま’は、止利様式の有無にこだわる水野説を推すことにしたのでした。
飛鳥文化と白鳳文化の境となる仏像
ここでは、水野説の根拠となる2体の仏像をまとめています。
一つは法隆寺献納宝物の中の菩薩立像。止利様式の特徴3つのうち、アルカイックスマイルが消えるのだそう。もう一つは野中寺の弥勒菩薩半跏像。こちらからは止利様式の特徴のすべてが消えてしまうのだそうです。
法隆寺献納宝物・菩薩立像(165号)
アルカイックスマイルは消えるが表面鑑賞性と左右相称性はある!
- 所蔵
- 東京国立博物館
- 造像年
- 651年(辛亥)
- 特徴
- 小金銅仏
- 像の高さ22.4センチ
- 台座の正面に銘文→造像年がわかる
- 重要文化財
野中寺・弥勒菩薩半跏像
アルカイックスマイル・表面鑑賞性・左右相称性のすべてが消える!
- 所蔵
- 野中寺
- 造像年
- 666年(丙寅)
- 特徴
- 小金銅仏
- 像の高さ18.5センチ
- 台座の周囲に銘文→造像年がわかる
- 毎月18日に開帳
- 重要文化財
参考文献
おわりに
全盲の視覚障害者‘ぶちゃこま’が、見えないなりに学んだ飛鳥と白鳳の境の仏像のまとめでした。
問題は、毎月18日の開帳に合わせて野中寺を訪れることができるだろうかということ。また、法隆寺献納宝物を探し出せるかどうか、そもそも常設しているかどうかも私にはわからなくて難題が山積みです。でも楽しい。
▽ あわせて読みたい ▽
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おわりっ!